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寺報

寺報 花だより vol.28 令和6年 節分星祭り号 より

2023年12月2日掲載 

登龍門(困難)から先に広がる、それぞれの未来(しあわせ)

 令和六年辰年、輝かしい未来の幕開けです。辰年には仏教の守護神・龍が舞い降り、力強く、時に変化に柔軟に、私たちの未来を見守ってくださいます。

 人生は四苦八苦、うまくいかないこと、辛いこと、悲しいことも多いかもしれません。そんなときは「登竜門」を心の糧としてみてはいかがでしょう。「登竜門」とは、急流を登り切った鯉が「龍」に成ったことから、成功や大願成就のために、困難を乗り越える大事を説いた故事です。言葉のイメージから、受験や試合、コンテストなど、一世一代の特別なことのように感じられるかもしれません。ですが、「苦楽」「良薬は口に苦し」「生みの苦しみ」などと言われますように、苦楽はいつも背中合わせ、楽しいことは苦しいことから生まれるように、私たちの日常は、すべてが幸せへの登竜門。日々の困難も、有り難い人生の糧として向き合うことができてこそ、その先に大きな幸せが訪れることでしょう。

 功徳院では別紙ご案内の通り、節分星まつりを執り行います。多くの皆さまが楽しみにしてくださっている豆まきは、狭い境内での混乱が予想され、本年も中止と致しますが、法要の肝心である、本堂の厄除け護摩祈願へのご参列は再開致します。

 四苦八苦という登竜門の先に、それぞれの幸せが広がる一年となりますよう、寺内一同心よりご祈念申し上げております。                                                                                                                                                    合掌
                               功徳院住職 松島龍戒

 

 

 

寺報 花だより vol.27 令和5年 秋のお彼岸号 より

2023年9月28日掲載 

 残暑お見舞い申しあげます。 
コロナの五類移行に伴い、今年の盂蘭盆施餓鬼法要は、これまでの大法要の形式から、ご家族ごとに本堂で読経する「個別供養」形式に変更して執り行い、三日間で約一〇〇組のご家族がご参列されました。その中には、今年初盆を迎えるかた、コロナ以前から施餓鬼法要にご参加されていたかた、おひとりでのご参加、あるいはご親族ら一〇名以上でのご参加など、さまざまなお姿がありました。それぞれに亡き人への深い思いをお持ちのことと拝察し、総本山・高野山からお招きした僧正様によるお加持とともに、一家族ずつ、懇ろにご読経をさせていただきました。
 かつてはご自宅でのお盆供養が一般的でしたが、昨今、特に東京地方では、それが減少しつつあります。要因は、時代の変化やコロナの影響だけでなく、少子高齢化や住宅事情の変化、施設入居等によるお仏壇じまいの増加など、さまざまな背景があります。各ご家庭それぞれの供養の心をしっかりと受け止めることができるよう、引き続きよりよいお盆法要を厳修できるよう努めて参る所存です。
 お盆が終わりますとすぐに秋のお彼岸が巡って参ります。お彼岸は、暑さ寒さや昼夜の時間の頃合いが良いことから、仏教では中道という「心の柔軟性」を学ぶ期間となっています。人生に四苦八苦あれど、中道の心で困難に向き合えば、時代や身心の変化に柔軟に適応でき、心穏やかな毎日を送ることができます。といって、人それぞれに、変わらず守りたい大切なものがおありのことでしょう。変わりゆくもの、守りたいもの、このバランスを上手にとることがまさに中道の精神なのです。
 来るお彼岸、供養の思いは不動のままに、亡き人との良き心のふれあいとなれば幸いです。
 また、月例行事のご参列も少しずつ再開します。別項にてご確認ください。手狭な境内ではありますが、みなさまのご参加をお待ちしております。             合掌
                               功徳院住職 松島龍戒

寺報 花だより vol.26 令和5年 盂蘭盆施餓鬼号 より

2023年6月4日掲載 

 コロナの制限が緩和され、世の中が再び動きはじめています。

 コロナは、多くの人の生命を奪い、雇用や経済、コミュニティの希薄化など、深刻な問題を引き起こしました。しかしそのいっぽうで、コロナをきっかけとして、オンラインなどテクノロジーの急速な普及が、教育や地域格差を縮め、柔軟な働きかたを生み出すなど、多くのメリットも生み出したのではないでしょうか。

 まもなくお盆の季節です。お盆とは、亡くなった先祖やご家族を慰霊する伝統行事で、当院ではコロナ前までは、多くの皆さまが本堂に集まり、塔婆奉納する形式で大法要を執り行っておりました。コロナが落ち着きを見せてはいるものの、残念ながら今までのように、狭い境内に千人以上がお集まりいただくような形式での開催は難しい状況です。そこで本年は、コロナ後の社会通念や価値観の多様化に、より柔軟に応じるべく、別紙の通り、新しい形式でお盆の法要を開催することとなりました。ご不明の点やご意見などは遠慮なく寺務所にお寄せいただきたいと思います。

 超高齢社会、さらには多死社会の到来とも言われる昨今、すがも平和霊苑の利用者も年々増え続けております。当院の限られた境内を効率よく生かし、できるだけご参詣の密集・混雑の緩和をはかりつつ、皆さまにとりましてより有意義なお盆供養を実現すべく尽力致します。何卒ご理解とご協力を賜りたくお願い申し上げます。
                                       合掌                          

南無大師遍照金剛
南無三界万霊                         功徳院住職 松島龍戒

 

 

寺報 花だより vol.25 令和5年 花祭り号 より

2023年3月18日掲載 

ありがたや 高野の山の岩かげに 大師はいまだ おわしますなる

 日本三大霊場のひとつ高野山は、平安時代の名僧・弘法大師空海が開いた高野山真言宗の総本山で、平成十七年には世界遺産に登録、宗教宗派を超え、世界中の人々が訪れる真言密教の聖地です。

 標高850メートル前後の山々に囲まれ、あたかも天空に浮かぶ広大な境内には、高野山のシンボル・高さ48・5mの根本大塔をはじめとする、無数の仏教建築や寺院が建ち並び、だれが呼んだか「日本のマチュピチュ」の比喩は、まさに言い得て妙です。

 人々を引きつける高野山の最大の神秘は入定信仰、すなわち「弘法大師が、ここ高野山で今も生きて、人々の幸せを祈り続けてくださっている」という世界でも希有な信仰なのです。

 私たち真言宗僧侶の多くは、この聖地に参籠修行して資格を取得するのですが、その修行の第一歩は、この入定信仰を信じることから始まります。が、寺に生まれ育ったわけでもなく、大学を出てまもなく、寝耳に水の心境で高野山に入山した当時の私には、恥ずかしながら、「今も生きていると言われても・・・」と、心の底から信じることはできませんでした。その気持ちに多少の変化が生じたのは、その数年後、さまざまなご縁を得て、三年間の高野山修行に励んでいたある日のことです。弘法大師の御廟「奥の院」にお参りした時、その前でお百度参りしているおばあさんをみかけました。その背中が丸くなっているのは、雪が積もる寒さのせいか、ご年齢のせいかわかりませんが、なにかお札のようなものを両手で抱き、素足で石畳の上をぴたぴたと、歩く音が聞こえてくるほどに、一心にお参りをされていました。そのお姿に接した時から私は、たしかにここにお大師さまがいらっしゃる。心からそう思えるようになりました。

 大切なご家族など、先立たれたかたのお姿は直接見て、触れることはできません。が、日々の生活で出会う何かを通じ、間接的にその存在を信じられる瞬間がきっと、どなたにも訪れることと存じます。

 来る春のお彼岸には、そんな亡き人のお姿を求め、お墓参りやお塔婆供養をしてみてはいかがでしょうか。

合掌
                                          功徳院住職 松島龍戒

寺報 花だより vol.24 令和5年 節分星祭り号 より

2022年12月3日掲載 

文殊の知恵

  数年前のご法事でのことです。読経中、いつものように参列者に「ご焼香をどうぞ」と促したところ、施主さまの「あなたから先に焼香するんですよ。その次は○○君ね」そんな声がしましたので振り返りますと、普通、最初にご焼香してしかるべき故人の奥さま(施主)に先んじて、お孫さんたちが真っ先にご焼香されています。ご法事終了後、施主さまにそのことをお尋ねしますと、次のようなお答えが。「孫たちにとっては会ったこともないおじいさんの十七回忌。いずれ我が家の法事を担っていくのはこの子たちですから、私が死んだあともおじいさんの供養を大切に続けてもらえるように、法事の主役を孫たちにしてるんです」
一般的な仏事作法としては、正しいと言えないかもしれません。
しかし、コロナが追い打ちをかけている、昨今の仏事縮小傾向を目の当たりにする中、法事を末永く大切にしたいと願う、このご家庭にとっての「智慧」を見たような気がしました。

令和五年の護り本尊は文殊菩薩。
「文殊の智慧」といいますが、これは知識や情報に頼りすぎない、慈悲~やさしさ~を伴うもの。その実践のために、文殊菩薩は「利剣」を手に戒めています。この利剣で断ち切るべきは、世間の目やしがらみ、ねたみ、かたよった考えから起こる、柔軟さを欠いた心です。コロナ以降、世の中は急速に変わりつつあります。みなさまそれぞれにとっての「文殊の智慧」で、よりよい年をお過ごしいただきますようご祈念申し上げます。

合掌
                                          功徳院住職 松島龍戒

 

寺報 花だより vol.23 令和4年 秋のお彼岸号 より

2022年9月10日掲載 

 先日、和歌山県の高野山にお参りしました。
 高野山とは、平安時代のはじめに弘法大師・空海さまが開いた高野山真言宗の祖山です。ここには、『空海さまが今なお生きて座禅瞑想し、人々の幸せを祈り続けてくださっている』そんな信仰があります。
 仏教の開祖、お釈迦さまでさえ入滅し、荼毘に付されたと伝承されておりますが、なぜ空海さまに限って、そんな特別な信仰が生まれたのでしょうか。これには『毛は伸び放題、衣も朽ち果て、座禅している空海さまに直接触れた』という高僧の記録がきっかけになった、など諸説ありますが、私は、空海さまの底知れぬ人間的魅力、心の深さにその理由があると感じています。
 それを伺い知るひとつが、永遠の住処として定めた高野山奥の院に「お入りになる」直前に遺された次のお言葉です。「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなむ(この世の、生きとし生けるすべてが救われないかぎり、私の祈りは永遠に尽きることがないのです)」なんと、途方もなく大きなご請願でしょうか。
 それゆえに人々はいつしか、「高野山に登れば、空海さんに会える」そう信じはじめ、今もなお、宗教宗派、国の内外を問わず、「生きた」空海さまにお会いするために、人々が高野山に訪れているのだと思います。
 人はだれも、この世とお別れするその時が近づくにつれ、遺してゆく人への思いを、強くされるのではないでしょうか。それは空海さまのような偉大な人に限らず、たとえば、普通の親が子へ遺す気持ちであれ、空海さまに負けないくらい深く、強く、大きい。私はそう信じています。そしてその思いは、きっとこの世のどこかに、形となり、香りとなりどこかに残っているはずです。
 来る秋のお彼岸には、亡き人の「思いの痕跡」を探し、お墓参りやお塔婆供養をしみてはいかがでしょうか。

合掌
                                          功徳院住職 松島龍戒

 

寺報 花だより vol.22 令和4年 盂蘭盆施餓鬼号 より

2022年7月8日掲載 

「叱られた恩を忘れず墓参り」

 今年もお盆の季節がやって参ります。お盆は、長年日本で大切にされてきた年中行事ですが、近年では親戚が集ったり、迎え火、送り火をたいて、ご先祖迎えすることも少なくなりました。しかし、形式は変わっても、お盆は亡き人に感謝をささげ、日々の生活を省みる絶好の機会でもあります。そもそもお盆は、お釈迦さまのお弟子さまの物語が由来となっています。「目連尊者のお母さまは、我が子だけを可愛がり過ぎるあまり、餓鬼道地獄に堕とされてしまいましたー。」これがお盆の由来だと聞くと驚かれるかもしれませんが、この物語は、お釈迦さまの教えを受けた目連尊者が「万霊供養」を心がけるようになり、お母さまが救われたと結ばれています。思うにこの物語のテーマは「目連尊者の反省」ではないでしょうか。母を地獄に至らしめた原因が自分にもなかったか? 自分も親に甘え過ぎていなかったか? 子としてもっと母を助け、支えることはできなかったか? 何気なく暮らしている街の景色、それを遠くから眺めれば美の絶景に見えることもあるように、近しく暮らしている人の本当の姿や思いに、私たちは気づきにくいものです。亡き人を供養することで、あらためてその人の本当の姿を見つめ、心の中に息づかせる、それがお盆供養に込められた意義ではないでしょうか。お盆のお塔婆は、今はもう伝えることができない私たちのさまざまな思いを、感謝の仏語に換え、亡き人に届けて下さるお手紙です。この夏が、皆さまにとりまして良きご供養となりますようお祈り申し上げます。                                   合掌
                                          功徳院住職 松島龍戒

 

寺報 花だより vol.21 令和4年 花祭り号 より

2022年2月27日掲載 

■およそ2500年前の北インド、戦乱の世を生き抜かなければならなかった弱小国・シャカ国の王子としてお生まれになったお釈迦さま。その産声と伝えられるお言葉が、この「天上天下唯我独尊」です。■人はだれもが、かけがえなく尊い存在である――。■人種、性別、身分、家柄はむろんのこと、学歴、職歴、知力、体力、年齢、思想の差などによって人は優劣をつけられるべきでない。あなただけに与えられた価値を生かし、この世での役割を見つけ、全うすることができる――。■お釈迦さまは、この世で発せられた最初のお声で、そんな真理をお説きになられたのです。■一見あたりまえ、それでいて有史以来机上の理想論だった「個性の尊重」も、近年ようやく世に浸透し始め、今ほど個性が重んじられる時代は、かつてなかったように思えます。■戦乱さながらのコロナ時代を生き抜くために今、「個性」が求められています。そして個性を貫くために、時に「変化」する強さを持つこと。シャカ国は、変わることができなかったために、国を残すという使命を全うすることができず滅びました。■コロナによる職業転換や、加齢や病気による体調の変化、成長に伴う家族の形の変化――人は変化を受け入れることが苦手ゆえに、日々、苦しみますが、四苦八苦の世を生き抜くために、必要な強さでもあるのです。■お彼岸は、今を生き抜く私たちを応援してくださるご先祖さまを想い、現世を幸せにする期間。よきお参りとなりますよう、寺内一同、心より願っております。                                           合掌              

                                          功徳院住職 松島龍戒

寺報 花だより バックナンバー Web版 vol.20-11

掲載 

寺報 花だより バックナンバー Web版 vol.10-01

掲載 

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